天照大神の命により、
天界より降り立った天若日子


 京都の奥座敷・南丹市日吉町。ここに「天若(あまわか)」という村があり、古くから天稚神社(あめわかじんじゃ)という神社がありました。※1 その神社の祭神である天若日子(あめのわかひこ)の名は「天界の若い男」という意味を持ち、眉目秀麗の美しい姿をしていました。

 まだ天界の神々が天地を行き来していた当時、大国主命(おおくにぬしのみこと)が葦原中津国(あしはらのなかつくに)を統治していましたが、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が大国主命の治める土地を譲り受けるために、遣わされたのが天若日子でした。天界からの期待を受けながら地上に降り立った天若日子。しかし、そこで目の当たりにしたのは、乱雑で荒れ狂ったこの世の姿でした。

 天若日子は天からの命令を遂行することよりも、先にこの世を立て直す必要があると考え、使命を放棄してしまうのでした。その後、天若日子は大国主命の娘・下照姫(したてるひめ)と結婚します。

 2人は大変深い愛で結ばれ理想の夫婦となりました。

 しかし、天照大神らの命令に背いた天若日子は反逆者とみなされ、天界から追放されてしまいます。厳しい罰を受け、なんと愛する妻である下照姫とも離れ離れにされてしまったのでした。

 追放された天若日子がやっとの思いで辿り着いたのが、かつてゆかりのあったこの天若の地でした。美しく平穏なこの地を天若日子はたいそう気に入り、自らが治めることを決意します。そこで、行者山の岩 ※2 に鎮座して毎日のように眩い光を放ったのでした。

 「これはただ事ではない」と集まった村人たちに天若日子はこう告げました。 「私を祀れば、この地は五穀豊穣となり平和郷が出現するであろう」その神託に村人たちが応えると、一夜にして世に久しき3本の杉の大木が現れました。※3 後に、「一の宮・天稚神社」が創建され、 天若日子はこの地を治め続けたのでした。

平和と発展をもたらす、ひよしに現れた龍

 時は流れ、地球の環境が大きく変化する中で大きな天災があちこちで起こるようになり、多くの豊かな土地が姿を変えました。そんな中、天若の地に水源の確保や洪水調節のための大きなダムが建設されることが決まります。

 それを耳にした天若日子は、土地を守る神々やそこに住むあらゆる存在を集め、大きな計画を話すことにしました。 「 もう間もなく私たちのいるこの地には、大きなダムが造られることになります。そのダムによってできる湖に、大きな龍の姿を創造することにいたしましょう!そしてそれを同じく発展を望む人間に気づかせ、その資源として使っていただくのです 」天若日子は大変慕われていたので、多くの存在がその計画に賛同したのでした。

 こうして、1997年(平成9年)に多くの人の協力のもと日吉ダムが完成し、生命の水を蓄えた人工湖「 天若湖 」が誕生しました。こうしてできた湖の形状は、神の化身である龍の姿として現れ、まるで天若日子のように美しく優美な姿をしているのでした。そしてこの土地の安泰のため万物に循環する「木・火・土・金・水」5つのエネルギーを、龍の姿を取り囲む5箇所に納めたのでした。

 この働きに天界の神々はたいそう喜び、天若日子は天界からの赦しを受けることができました。そして、一年に一度だけ天若湖に架かる「夢の架け橋」で下照姫と会うことを許されたのでした。

 天若日子は人々に向けて、こう言いました。「 もっとこの土地がよくなるために私は龍の姿を現し、この仕組みを作りました。この地はこれからも平和な形で保たれ続けるでしょう。それは言い換えればもっと高みを目指すこともできるということです。今回の仕組みをうまく生かし、人と神、土地や自然が力を合わせ、まったく新しい方法でよりよい形を創り上げましょう 」

 現在も、天若日子はかつて自らが降り立った行者山の岩に腰をかけ、この地を見守っているといわれています。

※1 現在の社殿が建てられたのは1991年で、日吉ダム建設に伴い殿田にある大向山の山麓に遷座されました。

※2 行者山は日吉町殿田にあり、山の中腹には天若日子の像がお祀りされています。行者山は、他の場所にもあると言われています。

※3 世に久しい大木とは、この世に等しいほど長寿の大木という意味をです。世久木、これが現在の「世木」の地名の由来と言われています。